学習院大学 デジタルライブラリー

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貴重書

学習院大学の図書館で所蔵する資料のうち、資料的価値や歴史的価値が高く、特別な保管を要する資料群です。京都学習院旧蔵資料、華族会館寄贈資料、三条西家書写本、乃木希典元院長旧蔵資料、等々の当館コレクションの中でも、特に貴重な資料から順次デジタル化し、オンラインで閲覧できるよう提供しています。※現在は、大日本沿海輿地全図、京都学習院旧蔵資料(一部除く)、華族会館寄贈資料(一部除く)を除き学内限定公開です。

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華族会館寄贈資料

華族会館寄贈資料

【解説】
明治2年に華族に叙せられた旧藩主・公家たちが、明治7年に結成した団体である華族會館は、明治10年に子弟の教育機関として華族学校(現在の学習院)を設立した。設立の際、華族會館が書籍館(図書館)建設を目的にそれまで収集していた図書11,000冊(和漢書:9,159冊、洋書:1,614冊)が学習院に寄贈された。寄贈された資料は、縦覧場(図書室)に置かれ生徒や華族の方々に利用された。
このコレクションは、華族が利用するために購入した国内外の新刊書や、徳川宗家、高松藩松平家から寄贈された古典籍類のほか、明治天皇、冷泉家など蔵書印から辿る旧蔵書も含まれ、多彩な内容となっている。
平成26年度よりデジタル化事業を開始し、現在洋書(約800冊)のデジタル化を終え、平成27年度より公開されている。今後、和漢書についてもデジタル化を進める計画である。

 平成27年度デジタル化分の和書はこちらから一覧リストで閲覧できます。

 左の画像をクリックすると、デジタル化した洋書の一部のリストと本文のデジタル画像が閲覧できます。リストに無い資料は、申し訳ありませんが、タイトル等の語句で検索してください。(今後、リスト化予定)

 この事業は、社団法人霞会館のご支援、ご協力のもと実施されております。

 この資料の修復についてはこちら(外部サイト)

京都学習院

京都学習院旧蔵資料

【解説】
弘化4年、京都御所内に開講された公家の学習所時代から、京都で「学習院」の勅額が下賜された時代に収集された資料群のうち、学習院大学が譲り受けた113タイトル1,535冊をデジタル化した。 主として漢籍が多く所蔵されており、学術的・歴史的価値は非常に高い資料群であるのはもとより、「学習院」のアイデンティティを示す貴重な資料群である。

平成16年学習院大学新規重点施策において整備された目録をもとに、平成24年度戦略枠事業として、本学の蔵書すべてをデジタル公開するに至った。

代表的な蔵書として、『性理大全』、『白氏文集』、『欽定三礼義疏』、『宋名臣言行録』、『資治通鑑』など。

うつほ物語

うつほ物語

【解説】
昭和14(1939)年に、高等科3年で亡くなった亀田弘之介氏を記念して遺族から学習院大学図書館に10万円が贈られた。 一部は図書購入費として充てられ、標題の『うつほ物語』が購入された。見返しに押された「亀田記念図書」の印の由来である。本学所蔵本は16巻20冊。 装丁は胡蝶装、表紙と裏表紙の金色で描かれた植物が非常に特徴的である。裏表紙には、題箋を剥がした跡のようなものが散見される。

当館所蔵本は、残念ながらいくつか錯簡が確認されている。また、水に濡れた跡があり、本紙自体も歪みがあったが、歪みは修復が完了している。 虫損は見られないため、文字の確認は十分に可能である。

伊勢物語

伊勢物語

【解題】
本書の底本は、学習院大学所蔵の伝定家筆本「伊勢物語」で、三条西家旧蔵の証本である。墨塗り箱入り。縦十六・三三センチ、横十六・一七センチの胡蝶装冊子。料紙は薄様の鳥の子。張数九十二葉のうち墨付は九十葉。その策一葉と第九十二葉が表紙で、表面中央に「伊勢物語」と墨書。本文は第二葉裏の頭初から第八十五葉裏の六行まで。

一面の行数はほぼ九行前後で、所々に朱書で声点(単語五十数か所)や武田本との校合(十八か所)を書き入れ、墨筆で勘物や異本の本文(四十八か所)を 注する。第八十六葉裏から第八十九葉裏にかけて、主要な登場人物の略歴および釈義を載せ、第九十葉裏には定家の付した天福本の奥書きを、第九十一葉の裏には武田本の奥書き (本書書写の後、明応七年<一四九八>六月、三条西実隆<一四五五~一五三七>の転載)を載せる。「戸部尚書」の下の定家の花押は、一度原本を模写し、さらに原本から影写したと思われる小紙片を、その上に貼付したものである。

なお、この影印は、表紙の見返しから第一葉表にかけて貼付されてあった実隆自筆の紙片。後花園院(一四一九~一四七〇)の御秘本であった定家自筆本を、三条西実連(一四四二~一四五八)に下賜され、実連没後は、旧好によって宮道親元(一四三三~一四八八)に遣わし、親元没後は、実連の弟前内大臣実隆に返還された旨の、伝来事情を記したもの。 本書が定家自筆本と伝えられたのは、主にこの記事によるが、底本の書写は鎌倉期を遡りえず、筆跡も定家自筆とは認めがたい。松尾聡博士は、返送された定家自筆本を他に譲るさい、新たに作らしめた臨写本に、先の貼紙だけはがしとって移貼したものと見られた。この臨写本が、本書の底本である。しかし、これがたとえ定家自筆本でないにせよ、その面影を忠実に留め、 天福本としてはほとんど完璧に近いところから、同系統本のうちもっとも信憑しうる証本の一つと認定されている。
【典拠】
伊勢物語 小林茂美校注, 東京:新典社, 1975年刊, 影印校注古典叢書6 抜粋

枕草子

枕草子

【解題】
本書の体裁のあらましを次に記す。 上下二冊。縦二六.五センチ、横ニ〇センチ。本文の用紙はうす手の楮紙で、袋綴であるが、現在は、補修のため、用紙は裏打ちして厚手になっている。 ただし絶妙な技術によって、一見貼り合わせとは考えられないほどである。墨付上巻百枚、下巻百五十枚。表紙は紺色の紙製で、もとは虫食のため寸断せられていたが、今はきれいに補修された。 表紙左肩にはうすい楮紙で仮りの題簽「枕草紙(上)」「枕草子(下)」が貼られてあるが、三條西公正博士の筆である。上巻の表紙見返しには本文の紙と同質の白紙一葉が貼られてあるのが原形であったが、 今は、補修のおりに、もと表紙裏に下地紙として貼りつけてあった「有座主来相看次師問(以下虫食デ十分確カデハナイ)」にはじまる十一行の漢文が有枠有罫のなかに印刷されている一葉が、見返しがわりに貼られ、 本来の見返しの一葉は遊紙の形で次に添えられている。したがって本文はその次葉の裏からはじまる。上巻の裏表紙見返しも同様であって、本来の見返しの紙は表裏白紙の遊紙の形で、本文末に添えられ、見返しには、 本来の下地紙の消息文の断葉が貼られている。下巻の表紙見返し、裏表紙見返しも、全く同断であり、前者には消息文の断葉、後者には「便出去師云莫道無事好首座侍立次師云還有過」ではじまる、 前記上巻表紙見返し下地の紙と同趣の漢文の一葉が貼られている(この写真本では、これらの下地紙は本来見えないはずのものなので、省略して、本来の形にもどした)。本文は一面十一行に書かれ、その筆者は三条西実隆またはその子公條かといわれているが、十分確かではない。
【典拠】
枕草子:能因本, 清少納言[原著];松尾聡編, 東京:笠間書院, 1971刊, 笠間影印叢刊 9-10, 付(26p 21cm):解説(松尾聡編) 抜粋

伊能図

伊能図

【解題】
伊能忠敬の測量隊が作った日本地図が一般に『伊能図』と呼ばれる。 海岸線と街道を測った線と、そこから見える山の姿を鳥の目で見たように描いた手書きの絵図で、 内陸部は空白。自分たちが測量したところだけを描き、歩いていないところは未測量と記すなど、 実証的な精神を貫いている。縮尺3万6千分の1の大図、21万6千分の1の中図、43万2千分の1の小図が基本形。 全測量結果をまとめ、1821年に幕府に提出された最終版『大日本沿海輿地※全図』(大図214枚、中図8枚、小図3枚)のほかにも 測量の旅ごとに作製され、約400種類があったとされる。このうち200種以上が副本や写本の形で残っているが、幕府に提出された最終版の正本は、 明治時代始めの皇居の火災で焼失したという。

江戸時代には幕府の秘図として公開されなかったが、明治になって、これを基礎に近代的な地図の作製が進められた。また、江戸末期に伊能図の写しをひそかに持ち帰ったシーボルトにより、欧州に初めて日本の正確な姿が伝えられた。 ※輿地=大地

稲富流砲術伝授書

稲富流砲術伝授書

【解題】
「イゴノヨミナカワル」、そう、1543年(天文12年)鉄砲伝来の年である。ポルトガル人によって種子島に鉄砲が初めてもたらされ、またたく間に全国に広がった。そして、合戦は、個人戦から鉄砲隊を編成する量と量の戦いに変わった。また、多数の鉄砲を備えることの出来る大国の優勢、築城術の革新、城下町の変貌等々、以後の世はみな変わったのである。そして、砲術が武芸の中でも重要な地位を占め、多くの人がその研究を始めるようになり、みずから家々の流儀を興し競うようになった。

そのひとつに稲富流がある。創始者である丹後田辺の人、伊賀守直家(のちに祐直と改名、剃髪して一夢と号す。1551-1611)は、祖父直時から銃術を学び、丹後国天橋山智恩寺(今は「文殊の知恵」で有名)に籠もり、火薬の配合や、発射姿勢を創案・発明し、稲富流(一夢流)を興した。また、直家は射撃の名手でもあり、初めは一色氏、のちに細川忠興に仕え、朝鮮出兵にも伴われ、加藤清正とともに活躍した。その後、忠興に追われる身になった直家は、その技を惜しまれ、徳川家康に助けられた。そして、駿府城で家康に、ついで秀忠にも江戸城で、砲術を伝授し、のち尾張大納言義直に仕え、駿府にて没した(60歳)。

このように砲術家としての直家は、数多くの砲術書、秘伝書を残している。火薬・弾道・姿勢・狙点などを詳細に研究した砲術伝書は、現在からみても神髄を突いた完璧の書といえるものである。当館で所蔵する伝書は「一流一辺之書」慶長12年(1607年)11帖、「極意」慶長15年(1610年)9帖、「一大極意書物」同年、9帖の計29帖からなる折本(11×25cm、写本)。多少の虫喰いは否めないが、保存の状態は良く、松本清張が直家の生涯を描いた小説『火の縄』を執筆する際、この伝書を閲覧し、火縄銃の打ち方などを参考にした。また、数多い射撃姿勢図は、色彩豊かに、打ち方の要領を明確に示すために「ふんどし」ひとつの裸姿で描かれていて、まことに興味深い。
【典拠】
大学図書館:中村丈夫, らいぶらり no.10 1985.7 抜粋 (参考文献:国史大辞典 吉川弘文館)

蜻蛉日記

蜻蛉日記

【解題】
日記文学。3巻。藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは、937~995年頃)作。安和2年(969年)~天禄2年(971年)頃成立。 上巻末の「あるかなきかのここちするかげろふの日記といふべし」に基づく書名。

当館所蔵は、木箱表題に「契沖(けいちゅう、国学者)手写」とあり、写本。下巻末および国書総目録によれば、 「享和2年、上田秋成(うえだあきなり)跋」を見ることができる。さらに下巻末に、第4代華族女学校長細川潤次郎氏の跋を合せて閉じ直してある。 朱の書入れあり。旧分類313/49、貴重書室の箪笥抽斗4番にある。明治37年5月10日、購入して受け入れている。木箱と折畳みの「ちつ」に入り、和綴じ3冊から成る。 昭和6年11月12日、皇后陛下行啓の折、山岸講師を説明者に契沖自筆本として展示したこともある。

内容としては、夫藤原兼家との結婚生活を中心に、 上巻15年、中巻3年、下巻3年と、21年間の半生が回想によって描かれている。それはちょうど道綱母の18,9才から38,9才に該当し、 女流による息の長い仮名日記として、その文体と心理描写は後の「源氏物語」にも少なからぬ影響を及ぼしている。
【典拠】
明治書院刊「日本古典文学大事典」, 岩波書店刊「国書総目録」

伴大納言絵巻

伴大納言絵巻

【解題】
平安時代後期の絵巻物の名品。清和天皇(856~876年在位)の治世下、貞観8年(866年)閏3月10日の夜、内裏の朝堂院の正門である応天門が不審火で焼け落ちるという不穏な事件が起こった。 いわゆる「応天門の変」で、制作当時流布していた説話文(「宇治拾遺物語」114「伴大納言応天門を焼く事」とほぼ同じ内容のテキスト)を詞書に採用して、鑑賞絵巻と成したもの。 事実関係は別として、出世を願って政敵の抹殺を計った一人の野心家の野望と失墜を描いたドラマ。すなわち、策略家大納言伴善男(とものよしお)はみずから応天門に火を放ち、 その罪を左大臣源信(みなもとのまこと)に着せる。が、実は目撃者があって、真相は子供のけんかをきっかけに露見、事態は急転直下解決に向かい、ここに罪が確定した伴大納言は流刑に処せられるというもの。 3巻本であるが、全体は起承転結を踏まえた5段構成で、絵巻としても、巧みなデッサン、豊かな色彩感覚、体系だった画面展開は、「鑑賞絵巻」と呼ぶにふさわしい。

当館所蔵は、「国書総目録」によれば写本。近年、貴重書整備計画に基づき、折本3巻として書棚にあったものを、外箱を購入し、ラベル等の表装を整え、貴重書室に収納した。 旧分類730/16。残念ながら当館所蔵は表紙の付番に間違いがあり、ストーリーの展開で言えば、3→1→2の順に見ていくと符合する。
【典拠】
角川書店刊「角川絵巻物総覧」

清帝勅誥命書

清帝勅誥命書

準備中

平治物語

平治物語

【解題】
平治の乱(1159)に関する軍記物語である『平治物語』は、琵琶法師の語りや絵巻などにより享受されてきた。写本・版本はさまざまな存在が確認されており、高橋貞一氏、永積安明氏などの研究者によって分類されている。

当館所蔵本は九条家旧蔵本(便宜上、九条家本とする)である。高橋氏によれば、乙類本(原初形態と流布本の間に位置される)であり、永積氏によれば、第一類(原初形態に近いもの)に属するとされている。現在では永積氏の分類が支持されているが、その後の研究で、九条家本は、上巻が金刀比羅本系統(永積氏の第四類、流布本とされる)であり、中・下巻が古態とされる陽明文庫本(上・中巻)や松平文庫本(中・下巻)などと同系統に属するとされている。大曾根章介氏は、九条家本は原初形態であった揃いの上・中・下巻から上巻が早くに失われたため、当時多く流布されていた金刀比羅本系統から改めて書写されたと推察される、としている。

2010年度に『保元物語』(同じく九条家旧蔵本)とともに電子化され電子図書館(当時)の搭載に至った。現在は、学内限定公開であるが、財団法人日本古典文学会より影印本が昭和63年に出版されているため、上述の通り本文の研究も進んでいる。
【典拠】
日本古典文学会『保元物語 平治物語』(日本古典文学影印叢刊 23)、明治書院『歴史・歴史物語・軍記』(研究資料日本古典文学 2巻)、岩波書店『日本古典文学大辞典』、勉誠社『日本古典文学研究史大事典』、犬井善壽「九条家本系統『平治物語』本文校 : 二系列細分とその本文の吟味」『軍記と語り物』13巻、未刊国文資料刊行会『平治物語[九条家本]と研究』

保元物語

保元物語

【解題】
保元の乱(1156)に関する軍記物語である『保元物語』は、『平治物語』同様さまざまな写本・版本の存在が確認されている物語である。源為朝の英雄譚を中心に、年代記的な性格より文学的な抒情性を有する物語に仕上がっている。『平治物語』同様、やはり高橋貞一氏、永積安明氏などの研究者によって分類されており、本学所蔵本(九条家旧蔵)は、第四類金刀比羅本系統(現存数が多く、広く流布されたと考えられる)に属しているとされる。ただし、金刀比羅本系統ではあるものの、本文には若干の相違が認められ、大曾根章介氏によれば、"仮名書が漢字になっていたり、漢字の訓読みに音読と訓読の相違があったり、作中人物や地名が異なっているものも"あり、"金刀比羅本系統の本文としては貴重なもの"であるとされる。

2010年度に『保元物語』(同じく九条家旧蔵本)とともに電子化され電子図書館(当時)の搭載に至った。現在は、学内限定公開であるが、財団法人日本古典文学会より影印本が昭和63年に出版されているため、上述の通り本文の研究も進んでいる。
【典拠】
日本古典文学会『保元物語 平治物語』(日本古典文学影印叢刊 23)、明治書院『歴史・歴史物語・軍記』(研究資料日本古典文学 2巻)、岩波書店『日本古典文学大辞典』、勉誠社『日本古典文学研究史大事典』、犬井善壽「九条家本系統『平治物語』本文校 : 二系列細分とその本文の吟味」『軍記と語り物』13巻、未刊国文資料刊行会『平治物語[九条家本]と研究』

東洋文化研究所

準備中

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日記故事

日記故事

【 解 説 】
  『日記故事』というのは、元末以降に発達した人物故事を中心に道徳を説いた啓蒙書の一種であるが、本書は各種の目録類には見えず海内の孤本といえる書である。明代万暦年間(1573~1620)になって、節略された『日記故事』の全相本などが広く作られるようになったが、本書も本朝(明代)の故事を分類収録し、教化に役立てようとしたものと解される。
  封面は無く最初と最後の一葉は鈔補されたもので、巻頭第1葉表には大きな欠落がある。本文は上下2段で評点が付され、上段には評や語句の注釈がある。
  巻首に「豫章楽莘逸士編輯」とあるが、豫章の楽莘〔がくしん〕逸士に関しては不詳。目録末尾に「萬暦歳新月吉旦/禮部春官纂」とあることから江西(豫章)出身の南京礼部の官僚であったと推定される。また巻首には「京陵周氏梓行」ともあり、南京の書坊周氏が明末の万暦年間(1573~1620)末年に刊行したものであろう。
  目録の各故事の標題には年号の注記があり、万暦5年(1577)とあるのが最も遅い(巻4 貞烈類 史氏刺面)。目録の次に「婦人図」、巻2には「斥説仏老図」の半葉の挿図があり、当時の南京の刻本の水準の高さを窺わせる繍像本であり、『日記故事』としてはやや高級な部類に属すると目される。
  旧蔵者に関しては未詳。2005年、古書店より購入。
【 参 考 】  大澤顯浩「新収蔵資料紹介『鼎鋟國朝史記事實類編評釋日記故事』解題」『東洋文化研究』7号(学習院大学東洋文化研究所編) 2005年3月 561~569頁、大澤顯浩「鼎鋟国朝史記事実類編評釈日記故事」『知識は東アジアの海を渡った――学習院大学コレクションの世界』(学習院大学東洋文化研究所 編)丸善プラネット

廣開土王碑拓本

廣開土王碑拓本

【 解 説 】
  学習院大学東洋文化研究所は甲・乙2本の広開土王碑拓本を所蔵している。両本とも石灰拓本であることは一目瞭然であるが、収蔵の経緯は不明である。武田幸男氏が拓本のなかに着墨しない部分のパターンに着目して、拓本を型式分類した石灰拓本の変遷によれば、乙本は「1895年(明治28)前後~」、甲本は「1903年(明治36)ごろ~」1912年頃の間の拓出に相当する。この甲・乙本は明治23年(1890)から大正10年(1921)まで、学習院教授であった東洋史学者の白鳥庫吉にかかわる収集かと推測される。
【甲・乙本の特徴】
  甲本では第1面の中部に左端から右に上がる空白部が5行に及ぶが、乙本ではこれは4行である。乙本の拓出が甲本より数年早く、碑面の石灰がよく固着していたと見えて、墨付きが甲本より濃い。乙本の同類は京都大学人文科学研究所所蔵の内藤湖南旧蔵拓本のほかには国内では知られていない。甲本は国内には8本ほど蔵される。両本とも鼻を近づけると今も墨の臭いが漂う。裏面からは黒く墨を付けた石灰片の付着を見ることができる。
【広開土王碑碑文の概要】
  碑文は3段構成である。第1段では、王家の始祖が天に由来して卵より誕生し、苦難を克服して即位したこと、代を継いで広開土王に至る王統を第1面の半分に銘記する。第2段は3面の半ばまでを占め、広開土王の在位中の対外戦争を8か年条に編年して銘記する。そこでは太王の親征と派兵による戦争とその後に構築された高句麗中心の国際関係を太王の徳化が伸張したとする史観で銘記しているが、そのなかでも百済の背後にあって新羅を襲い、百済とともに高句麗に敵対する倭との戦いを多くの字数で銘記している。第3段は、王が獲得した主に百済地域と旧来の支配地の城村から王陵を守墓する烟戸を徴発せよとの王の遺令とその330戸のリストと、この烟戸に対する不売買の制令を刻記する。王都を望む地に立って南方に向けた高句麗の国家目標をも表象する巨碑のこの3段構成(聖なる王系の誕生と太王の戦果による恩徳の伸張とその上に構築された王墓の永遠の保護策)は相互に密接している。

朝鮮問題雑纂(友邦文庫・阪谷文書)

朝鮮問題雑纂(友邦文庫・阪谷文書)

【 解 題 】
  「阪谷文書」とは、西園寺内閣の大蔵大臣(1906~1908)をつとめ、「財政通」として知られた阪谷芳郎が集めた180点にのぼる資料をさす。阪谷は日本の官僚として京釜鉄道施設にかかわったことなどから、朝鮮に深く関心を持ち、1926年に創設された「中央朝鮮協会」では、27年から41年までの長きにわたって会長をつとめている。「中央朝鮮協会」とは元朝鮮総督府の高官をはじめ朝鮮に関係のあった企業の幹部などの「朝鮮通」が集まり、「朝鮮の開発」を旗印に最盛期には500名近くの会員を擁したいわば総督府の応援団であった。其の会長をつとめた阪谷の文書は「朝鮮問題雑纂」として、4冊に分けられ、それぞれにきちんと目録がつけられている。中でも圧巻なのは3・1運動に関する資料で、メソジスト教会が、3・1運動の余燼のおさまらぬ5月から6月にかけて、朝鮮各地を歩いて朝鮮人の声を記録した「朝鮮騒擾地巡回日誌」・「騒擾事件入監者 職業別表」・「騒擾事件(独立万歳事件)起訴被告人信徒別」など貴重な資料が入っている。此の資料は阪谷の義理の甥である穂積真六郎に、「これは必ず君が採りに来るだろうと思って、とっておいたよ」と渡してくれたものだと言う。

史料館

学習院大学史料館は、旧皇族、華族関係の史料を中心に系統的に収集し、現在約200の史料群を所蔵しています。山階宮家資料、高松宮家資料、阿部家史料、町田家史料、辻邦生資料、旧制学習院歴史地理標本室移管資料など、総点数はおよそ14万点に及びます。当館は、それらの史料の保管ならびに整理・調査・研究に従事し、その成果を刊行物・展覧会を通じて学生や一般に公開し、研究や教育普及に寄与しています。

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武蔵国秩父郡上名栗村町田家史料

武蔵国秩父郡上名栗村町田家史料

【解題】
武蔵国秩父郡上名栗村(現埼玉県入間郡名栗村大字上名栗、幕府領、石高約648石)は、江戸近郊の材木供給地として知られる西川林業地帯の代表村である。町田家は、上名栗村の名主を世襲で勤める一方、炭・材木商売などの諸商売を営み、江戸に材木問屋の出店を持つ山村豪農であった。
本史料群は、昭和42(1967)年に町田雅男氏より寄贈され、総数は5万点を超える。いまだ整理継続中であり、既刊の目録は5冊である(収蔵史料目録第8・9・11・13・16号)。

上名栗村絵図:幕末期の上名栗村の様子を描いた絵図。四方を山に囲まれ、村の中央を流れる名栗川の川沿いにわずかばかりの畑が広がる山村であったことがわかる。(史料番号8268)
経営帳簿:江戸の材木問屋との取引において作成された「水揚(みずあげ)帳」・「仕切(しきり)帳」などの経営帳簿である。

江戸幕府作事方大棟梁甲良家史料

江戸幕府作事方大棟梁甲良家史料

【解題】
甲良家は江戸幕府作事方大棟梁を勤め、江戸城をはじめ、日光東照宮、芝増上寺、上野寛永寺、湯島聖堂など、幕府直轄の建築事業の設計と監督にあたった。
本史料群は平成13(2001)年に古書店から購入した。総数7点。

江戸城絵図:江戸城の「表」(政治の場)と「中奥(なかおく)」(将軍の日常生活の場)を描いた絵図で、19世紀前半の作成と考えられる。作事方と小細工方(こざいくがた)、それぞれの持ち場を黄色と桃色に色分けし、また部屋ごとに畳表の種類が記入されている。(史料番号1)

飛鳥井家本車図

飛鳥井家本車図

【解題】
前近代における貴族の乗り物である牛車を描いた絵図で、『西園寺家車図』・『九条家車図』各1巻の計2軸。元禄7(1694)年飛鳥井雅豊が日野弘資の本を借りて写したもので、平成14(2002)年古書店から購入した。箱に貼付されたラベルから勧修寺家を経て巷間に出たことがわかるが、本来は飛鳥井家に伝来したものであろう。

雨眉檳榔庇車図(あままゆびんろうひさしのくるまず):『西園寺家車図』の所載で、建長5(1253)年に太政大臣西園寺実氏(さねうじ)が乗用した最高級の牛車を描いている。

西田幾多郎史料

西田幾多郎史料

【解題】
本史料群は書簡を中心に写真・原稿・書などからなり、総数585件である。当館では、学習院西田幾多郎博士記念館の開館を機して収集されてきた史料群を受け入れ、その後数回にわたり古書店より書簡を購入した。平成14(2002)年に史料目録第18号として『西田幾多郎関係資料─付 全集未収録書簡─』を刊行した。

「吾一以貫之」:西田の書である。昭和11(1936)年秋、論文「知と行」を発表した哲学者柳田謙十郎に送られたもので、『論語』里仁(りじん)篇の「吾道一以貫之哉」をふまえている。(史料番号R-2-1)

学習院アーカイブズ

学習院アーカイブズは、学習院で作成されるさまざまな文書や記録を保存・整理し、学習院の歴史を示す資料として活用することを目的として平成23(2011)年に発足しました。学習院が宮内省所管の官立学校だった明治から昭和戦前にかけて作成された公文書をはじめ、戦後期の大学関係文書、写真、乃木希典院長遺品、学内の各部署および卒業生ほか関係者から移管・寄贈を受けた資料などを所蔵しています。所蔵資料については整理を進め教育研究に役立てるとともに、学内資料の所在調査、閲覧や各種問い合わせへの対応を行っています。

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学習院大学設立趣意書(クリックで別ウィンドウ)

学習院大学設立趣意書

【解説】
昭和24(1949)年4月の学習院大学開設にあたって、大学設立の目的を公表するために安倍能成院長・初代大学長が執筆し、「学習院大学入学要項」の冒頭に掲載された。「本院大学の特色」として、「一面に国際的知識の養成、外国語の練熟と共に世界と国内との生きた現実の理解、更に進んでは文化国家としての日本の遠大な理想たる東西文化の融合」が掲げられ、東洋文化研究所の設置構想も述べられている。文末は「我々大学の当事者は本院大学の創設が敗戦日本の再建の一礎石とならんことを祈りつゝ、多大な困難を前途に予想しつゝ勇んで新たな船出につかうとするのである」と結ばれている。

各教員受持時間割表(クリックで別ウィンドウ)

各教員受持時間割表

【解説】
学習院と女子学習院(華族女学校・学習院女学部時代を含む)は、昭和22(1947)年に財団法人化されて私立学校となるまで、宮内省所管の官立学校として運営されていた。学習院アーカイブズには宮内省時代の公文書が保存され、その中には土地建物・各種の式事・教務・学生などに関する記録が含まれている。写真は明治42(1908)年の高等学科・中等学科各教員受持時間表である。「西田」とあるのは哲学者の西田幾多郎のことで、同年に高等学科のドイツ語を教授していた。

学習院輔仁会規則(クリックで別ウィンドウ)

学習院輔仁会規則

【解説】
学習院の校友会組織にあたる輔仁会は、明治22(1889)年4月6日に発足した。同日の「教務課日記」には輔仁会発足式次第と輔仁会規則が添付され、「生徒ノ協同一致」が目的に掲げられている。当初の所属団体は、編纂部・演説部・運動部・英語部・仏語部・独語部の6部で、翌23年には『輔仁会雑誌』が発刊された。輔仁会は、課外活動における全学生生徒の中心機関として現在に至り、『輔仁会雑誌』は通算235号まで発行を数えている。

教育部ヘノ請願案(クリックで別ウィンドウ)

教育部ヘノ請願案

【解説】
宮内省管轄下の官立学校であった学習院・女子学習院は、昭和20(1945)年12月に学制を改正し、華族子女の教育という目的を改め一般市民に門戸を開放した。さらに宮内省から独立して私立学校として存続する道をめざし、その過程でGHQ-SCAP(連合国最高司令官総司令部)側との交渉が幾度にわたって行われた。昭和22(1947)年3月、学習院と女子学習院は宮内省の管轄から離れて財団法人学習院として一体化し、翌4月より私立学校としての教育を開始した。
「教育部ヘノ請願案」には、昭和21(1946)年8月に学習院とCIE(GHQ民間情報教育局)が交渉を行った際に作成された文書が綴じられている。画像文書はCIEへの請願書草稿で、タイプで打たれた英文案に山梨勝之進院長が添削を加えている。
こうした1940年代から50年代に作成された文書は、ほとんどがわらばん紙で作成されたため酸性劣化が進み、保存措置が急務となっている。

学習院大学デジタルライブラリーとは

学習院大学デジタルライブラリーは、学習院大学で所蔵する貴重書や特殊なコレクションの一部をオンラインで公開するサイトです。図書館、東洋文化研究所、史料館など、各部署が所蔵する資史料のうち、特に歴史的価値の高いものを撮影、デジタル化し、閲覧に供しています。

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お知らせ

2016.04.02
「華族会館寄贈資料(和書)」を追加しました。
2015.05.07
「華族会館寄贈資料(洋書)」を追加しました。
2013.04.01
「京都学習院旧蔵資料」と『うつほ物語』を追加しました。
2012.11.02
「学習院アーカイブズ」を追加しました。
2012.04.01
学習院大学デジタルライブラリーを公開しました。